ホルガを開発したのは香港人

トイカメラと言えば思いつくのがロモとホルガだけれども、ホルガは香港人の李定武が開発したというのはあまり知られていないのではないだろうか。
1960年代と70年代に半導体トランジスタラジオの隆盛を見た李定武は自分で工場を作り生産する考えを起こし1970年に宇宙電子廠を立ち上げた。しかし当時は競争相手がとても多く、半導体トランジスタラジオの儲けの時期はすでに終わりに差し掛かっていた。そこでラジオに変わる別の商品を探さざるを得なかった。李定武は、かつてヤシマで働いていたこともあり、また当時香港ではストロボを現地生産する工場がなかったことから、日本の企業と連絡をとって共同開発で香港でははじめてのストロボの現地生産を開始したのだった。開発したそのストロボは予想外の売り上げを記録し、更に全ての設計を自ら行ったストロボを開発してデザイン賞を受賞し、アグファコダックなどの企業などからも依頼がくるなど順風満帆、前途洋洋だった。
しかし良いことはいつまでも続かなかった。70年代末にはストロボ内臓カメラが現れストロボ産業は一気に下火となったからである。当時全盛期には30件もあった生産工場が最後には2,3件しか生き残ることができなかった。情勢の不利を見て取った李定武は1982年に安価なカメラの製造に転換して大衆向けのカメラを考案した。それがホルガだった。
実際、当時ホルガの目標は中国大陸市場に打って出ることだったが、当時は貧乏人はカメラを変えず金持ちは高級カメラを買う状況であったから、成績は惨憺たるものだった。それで在庫を一掃するために、以前のストロボの人脈をたよりに、世界各地へホルガを広めようとしたのだ。思いもよらないことに偶然の機会からオーストリアのカメラマンに気に入られてホルガを使った撮影作品が作品展に出品され、ヨーロッパにその名を広めることになるのである。加えて2001年にはカメラマンのデービッド・バーネットが撮ったアメリカ副大統領ゴアの選挙活動中の写真がホワイトハウス・ニュース撮影「歴史の眼」受賞で最高の栄誉を受けて、ホルガは世界における有名ブランドとなったのであった。
その後ホルガは、2つのネガを合成するパノラマカメラ、2つのレンズを持った3Dカメラ、DSLR用のホルガレンズやiphone専用の製品、ロモの流行に対応した多重露出とストロボ機能の付いたHolga 135TIMなど次々と新作モデルを送り出しているが、なんと言っても愛用されているモデルはHolga 120Nだろう。120ミリフィルムの醸しだす効果が一番優れており、多くの受賞写真もこのモデルによって撮られたものだった。
なおホルガの名前の由来であるが、李定武のストロボ製造会社のHolgonが元となっており、加えて当時大部分のカメラのブランドがaで終わるネーミングであったことから自然とHolgaとなったという。

自得到獎項後,他的閃光燈事業可謂鵬程萬里,連當時得令的AGFAKodak,都有找他合作製造閃光燈產品。但好景不常,70年代末相機產品興起了內置閃光燈設計,一下子打沉了正蓬勃發展的閃光燈行業,「當時在同行中,我們公司較為穩健,所以才可捱過這段風浪,製造閃光燈的公司全盛時期有三十多間,最後只餘下兩、三間;對於我來說,真是一個打擊。」在1982年,李定武見勢頭不對,轉而發展平價相機,還親自構思一款平民化產品,而這就是Holga相機!

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