中国ブランドの再生

香港の老舗である鶏仔唛が老人だけが着るような野暮ったい服装という印象から抜け出して若者に受けたり、上海ブランドの腕時計が復活したりとこのところ伝統的な中国ブランドの再生が相次いでいる。そしてスニーカーでは飛躍ブランドと回力ブランドがホットアイテムとして若者の支持を受けている。長い間飛躍と回力は40年間ずっと変わらないデザインで20元から60元でガラスウィンドウの中にうず高く積まれて売らて農民工などが履くようなものだった。しかし今では老舗百貨店やショップでの人気アイテムとなり、飛躍シューズのオフィシャル・ストアである上海の遵義路585号のリテールアウトレットはスタイリッシュな若者のメッカとなっている。こうした現象の要因は二人の外国人に帰せられる。ひとりはフランス人のPatrice Bastianでもう一人はロード・オブ・リングの俳優Orlando Bloomだ。上海に長く住むPatrice Bastianは飛躍の海外での販売権を買い、少しデザインを変えたうえでヨーロッパに持ち込んだ。Orlando Bloomは映画New York, I Love Youにおいて飛躍を履いて注目を与えた。また北京オリンピック開幕式での太極拳のパフォーマンスでも表演者が飛躍シューズを履いて中国で更にファンを増やした。一方、当初飛躍と似ていることで誤って認識されてブームに火が着いた回力シューズはこのブームに便乗して上海のアウトレットを開き国内マーケットの拡大に乗り気だ。回力シューズはYe Shumengや李驍などデザイナーやフォトグラファーも回力をテーマにした写真を撮っている。ただ問題もある。偽物の飛躍がたった10元でマーケットに出回っているためだ。またデザイン・材質の改良などを経たリブランディング後の価格は元来の価格の10倍ほどとなり、ナイキやコンバースと並ぶ。中国人の消費者心理では価格は固定化されているので、新しいリブランディングには価格調整が必要になるだろう。

First produced in 1931, Feiyue was for decades less of a sports shoe and more of a status symbol; even as recently as the early 1980s, a pair of Feiyue sneakers was a luxury item for most Chinese people. However, as newer, fancier shoes came into the market, Feiyue's star began to fall, and so did production. Today an estimated 200, 000 pairs are produced yearly to serve the needs of farmers, workers and middle school students, down from the annual peak of 1.6 million pairs in 1959. Warrior, another well-known sneaker brand first produced in 1927, suffered a similar kind of decline. It has, however, revamped both its products and its marketing strategy. Its shoes are now exported overseas and sold at a much higher price than in the domestic market.

http://shenzhen.urbanatomy.com/index.php/life-a-style/1172-shenzhens-retro-revival

然而现在,有这样一些青年,他们出生于上世纪70年代末或80年代,他们经历了诸如肯德基、麦当劳、Nikeadidas等等西方大牌纷纷进入中国的过程,受到了来自西方消费文化的物质冲击,但是他们并不满足于这些外来的、自己似乎并不熟悉的选择。没有广告引导、没有潮流指标,他们自发地像考古一样发现和找回了梅花牌运动服,海鸥相机,乐凯胶卷,永久自行车,郁美净,健力宝,鸡味圈,大白兔奶糖,小白兔儿童牙膏,德生收音机,小霸王学习机,英雄钢笔……同样,他们也如获至宝般地发现了回力,一款从销售价格到设计风格都不为时光流逝而动的经典国货。

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