ルンビニの未完成のマスタープランとラーマグラマ
インドとの国境から10キロしか離れていないネパールのテライ平原にあるブッダの誕生地であるルンビニは旅行者にとっては通過地点でしかないようだ。その発展は遅々として進んでいない。1967年に当時の国連事務総長だったビルマ出身のウ・タントがルンビニを訪れ、その荒れ果て具合を見てショックを受けて以来、1970年に国連の援助による国際開発委員会が設けられ、その開発マスタープラン設計が日本の建築家である丹下健三に依頼された。そのマスタープランは1978年に正式に認められた。しかしその後も資金不足から完成にはほど遠く、中央を貫通する運河にも巡礼者を乗せた舟の姿は無く、世界の仏教寺の集中する寺院区域も半分が埋まっているに過ぎない。なかでも目につくのが、両側に土産物屋が並んだ小型の紫禁城のような中国寺が、ここで唯一人気のある証である乞食を目にする場所となっている。ベトナム寺は補修されることもなく鉄条がかけられて閉まったままである。
ルンビニから30分ほどのドライブで着くラーマグラマは、ブッダの死後に遺灰が8つの氏族に分けられた場所の一つで、遺灰を埋めた場所にはストゥーパが建てられた。今は標識も何もない緑に覆われた小高い丘でしかなく、小枝に掛けられた旗だけがその目印となっている。その後アショカ王が遺灰をもっと広範囲に広めようとして7つのストゥーパを開け84,000個分に遺灰を分けたが、ラーマグラマ王国だけはストゥーパを開くことを拒否したので、ラーマグラマは唯一オリジナルの遺灰を残す場所となったのであった。その後ラーマグラマは1974に再発見されるまで歴史から忘れ去られることとなる。
As a result, a U.N.-sponsored international development committee was founded in 1970, and this body commissioned Japanese architect Kenzo Tange to come up with a vision for the site. Tange labored on his design for six years before his Master Plan was formally adopted in 1978. [...] Arguably the only flaw in the Master Plan is that there was no money to deliver it, so what Lumbini visitors see today is a partial realization of Tange's design. The water features he placed at the heart of his plan ― including a long central canal ― are there, but not the boats that he envisaged carrying pilgrims slowly through the zones to the lake surrounding the Sacred Garden Zone. The Monastic Zone is taking shape in fits and starts, though of its 42 lots available for countries to build on, only around half are occupied.