餃子は張仲景の発明

冬になり寒さも増してきて餃子が美味しい季節となったけれども、餃子の由来は意外と知られていないのではないだろうか。餃子の由来には諸説あるけれども、中医学で有名な「傷寒論」を書いた張仲景が発明したいう説がある。張仲景が東漢の末年に疫病が起こり多くの医者が手を施せないでいたところ、疫病に抵抗する医術を研究して傷寒論を完成させたが、その時同時に餃子も発明して人々に恩恵を与えたとされる。張仲景は長沙で役人をしていたときに故郷の南陽で疫病が横行していることを知り、役職を辞して故郷に帰った。南陽に着くと弟子に命じて空き地にあばら屋を建てさせ、大鍋で羊の肉と唐辛子と寒さを退ける薬材を一緒に煮て、それを小麦粉の皮で包み再度煮て、診察に来た患者に与えた。患者一人には2つの小麦粉の皮で包んだ羊の肉と熱いスープが支給された。多くの貧窮した人々は両耳がとっくに凍傷を起こしていたけれども、それらを食べるとからだ全体が温まったばかりでなく耳さえも温まったので張仲景はこれを「祛寒嬌耳湯」を名付けた。人々はこれを「嬌耳」と呼び、だんだんと「嬌耳」が「餃耳」や「餃子」と呼び習わされるようになり今に伝わったとされる。それで今でも中国の北の方の人々は「冬至不端餃子碗,凍掉耳朵沒人管(冬至に餃子の碗を手にしないと、耳が凍傷になっても誰も構ってくれない)」と言うそうだ。

中醫學生一定讀過張仲景的《傷寒論》,話說在東漢末年瘟疫肆虐,群醫束手無策。張仲景埋首鑽研醫術抗疫,完成重要醫學作品,救人無數,還順道發明了餃子,造福人群。張仲景在長沙當官時,得悉家鄉南陽疫症橫行,辭官回鄉,沿途見百姓被嚴寒、飢餓和疫症折磨。到達南陽時,命弟子在空地搭棚,架起大鍋,以羊肉、辣椒和驅寒藥材煮湯,將煮熟的餡料用面皮包好,再煮熟,分給前來求診的窮人,每人兩隻面皮包好的羊肉加一碗熱湯。不少窮人的耳朵早已凍傷,吃罷只覺全身暖和,連耳朵都暖了,張仲景將湯名為「祛寒嬌耳湯」,百姓就叫那隻包了羊肉的東西做嬌耳,漸漸變成餃耳或餃子,流傳至今,北方人仍會說「冬至不端餃子碗,凍掉耳朵沒人管」。張仲景的妻子問他何以不斷煮餃子時,他答:「我不能給窮人食飽穿暖,但我可以為他們治病。」許多食物有防治疾病功效,簡單如冬天食熱餃子,即由內暖到外,不易冷壞啊!

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