OEDに関わった博士と狂人

OEDオックスフォード英語大辞典の編纂には元軍医で、精神に異常を来した狂人が関わっていた。アメリカの内戦に参加したマイナー医師はイギリスに渡り療養したが妄想を見て人を殺してロンドン付近の精神病院に入れられた。ジェイムスマレー教授はOEDの主編でその後半生をこの膨大な英語辞典の編纂にささげた人物。マイナー医師が殺人を犯して7年後モーリー教授が編纂を手がけて25年が過ぎていたが辞典は上梓までほど遠かった。その編纂作業は英語のすべての単語を記述しようとするもので意味やスペルや発音、単語の歴史的変化、英語作家からの引用まで一点の細部まで注意を払うものだったからたとえようもないほど膨大だった。それでOEC英語辞典は大量のボランティアを必要とした。一人ひとりが特定年代の特定作家の各作品から単語と引用句を抜出してきて編集部に送るのだ。精神病院のマイナーは募集広告を見て応募した。彼には豊富な知識となにより大量の暇な時間があったし、科学的な方法を見つけ出し、その引用した語句はどれもすぐに使えるもので、何度か編集を助けた。モーリー教授はこのなぞの人物に注目しコンタクトをとって頻繁に手紙のやり取りをするようになった。7年後マイナーの悲劇を聞き知った教授は初めて貢献度一番のボランティアである彼と会うことになり友情を結んだ。作業は軌道に乗り速度は緩慢ながら一巻一巻と辞典は出版されていった。しかしマイナーの病状は悪化する一方で68歳で自殺も図った。多方の努力により時の大臣であるチャーチルの許可でアメリカに戻りそこの精神病院でさらに9年を過ごすことになる。

“这个工程目标非常简单,也非常莽撞。”西蒙·温切斯特写道。因为它“要描述英语的全部词汇,每一个字,每一点细微的差别,每——点意义、拼法、读音上的差异,每一个词源演变的转折,每一位英语作家可供阐释词义的引语……这个任务无比巨大,按一般常规的做法,是不可能完成的。”因此OED需要大量志愿者,各自通读特定年代、特定作家的全部作品,抄录词汇及引语,再寄还给编辑。病院里的疯子看到了招募广告,他博闻广学,又有大量闲暇。更为关键的是,他找到了科学的工作方法,无数次解了编辑们的燃眉之急,也使自己提供的引语几乎条条可用。默里很快注意到了这个神秘人物,并与他建立了频繁的书信联系。“他们两人的关系,包含着崇高的学术追求、强烈的悲剧感、维多利亚时代的含蓄、深沉的感谢、互相的尊重,以及慢慢成熟的亲切之情。”

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